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和歌山地方裁判所 平成元年(ワ)28号 判決

原告

榎本多津子

右訴訟代理人弁護士

岩橋健

右訴訟復代理人弁護士

岩本洋子

被告

大野禎造

右訴訟代理人弁護士

谷口曻二

主文

一  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地建物について、和歌山地方法務局昭和六三年一二月一五日受付第四四五四三号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

(1)  被相続人大野昌夫(以下、「昌夫」という。)は、昭和六三年一二月一二日死亡した。

(2)  原告は、昌夫の長女であり、被告は昌夫の長男である。

(3)  昌夫は、別紙物件目録記載の土地建物(以下、「本件土地建物」という。)を所有していた。

2(公正証書遺言の存在)

昌夫は、昭和六三年七月七日、和歌山地方法務局公証人岩川清作成昭和六三年第五三三号遺言公正証書(以下、本件遺言公正証書」という。)をもって、本件土地建物を原告に相続させる旨の公正証書遺言(以下、「本件遺言」という。)をした。

3(被告名義の相続登記の経由)

被告は、昌夫が死亡した三日後である昭和六三年一二月一五日、本件土地建物について、和歌山地方法務局同日受付第四四五四三号をもって、同月一二日相続を原因とする所有権移転登記を経由している。

4(被告の相続登記の原因)

被告の3の相続登記の原因は、昌夫の昭和六三年六月八日付公正証書遺言(以下、「先行遺言」といい、この遺言公正証書を「先行遺言公正証書」という。)によるものである。

5(被告の相続登記抹消義務の存在)

先行遺言は、後の本件遺言によって撤回されたとみなされるから、本件土地建物は原告の所有に属する。

6(まとめ)

よって、原告は被告に対し、本件建物の所有権に基づき、3の登記の抹消手続を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因の1の(1)ないし(3)の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。

昌夫は、本件遺言当時、老人性痴呆症が出現しており、本件遺言をなすにつき、意思も能力もなかったから、本件遺言は無効である。

本件遺言は、民法九六九条二号、三号の方式に違反した無効なものである。

3  同3、4の事実は認める。

4  同5は争う。

三  原告の主張

1  昌夫は、その妻艶子とともに、雑賀崎で旅館七洋園を経営し、本件建物でビジネスホテル七津を経営していたもので、本件建物内に居宅があり、夫婦で居住していたが、艶子は昭和六二年一二月二二日に死亡した。

原告は、昭和四六年ころから本件建物内の三階に居住し、昭和五二、三年ころから本件建物一階でセカンドフィードという喫茶店を経営しながら、両親の世話をしていた。

被告は、昭和四六年ころから七洋園に居住しながら、七洋園の経営を手伝っていた。

2  昌夫夫婦は、右のような実態に適応させるためにと、生前財産分けについて、「七洋園は被告に、七津は原告に分ける。」旨話していたもので、本件土地建物を原告に相続させる旨の昭和五二年四月一〇日付けの公正証書遺言(以下、「五二年遺言」という。〈書証番号略〉。)が作成されている。

3  昌夫が、先行遺言で、本件土地建物を被告に相続させたのは、次のような理由である。

被告は、艶子が死亡した後、自分が大野家の跡取りであると強く主張しだし、七津の方も経営するという態度に出た。

そこで、原告が反発して、五二年遺言の公正証書を被告に見せたところ、被告は凄い剣幕で怒りだし、昌夫に対して厳しく被告の意思に沿う遺言を作成せよと殆ど強要したからである。

それを、後で聞いた原告が、弁護士に相談して元に戻すように頼んだところ、昌夫は従来からの昌夫夫婦の意思や、原、被告の居住・経営状況を考慮し、再考しなおし、「それでよい。」と返事して本件遺言をしたものである。

4  本件遺言公正証書に押捺された昌夫の印鑑は実印ではないが、当時昌夫の実印は被告が保有していたので、やむを得ず昌夫が付添人土谷豊子に預けていた昌夫の印鑑を使用したもので、人違いであることの証明も印鑑証明書によらず、公証人の面識ある原告訴訟代理人たる証人の証明によったものである。

5  〈書証番号略〉の被告に対する改印の手続依頼も、被告の強い依頼を断れないと考え、昌夫が被告に強要されて記載したものである。

被告は、昭和六三年七月七日の本件遺言時に昌夫に意思能力がない旨の主張しながら、その前日付けの〈書証番号略〉の作成について意思能力の存在を主張するのは矛盾している。

6  本件遺言時、昌夫が遺言内容を真に理解しており、痴呆症の症状も出ていなかったことは、証人岩川清、同土谷豊子の各証言、原告本人の供述で明らかであり、昌夫の意思能力に問題はなく、本件遺言は有効である。

7  本件遺言に、方式違反はない。

本件遺言は、証人阪口展子の証言どおりの経過で作成されたものと考えられ、①公証人による遺言内容確定、書面化があり、②公証人が遺言者にその書面の内容を読み聞かせており、③遺言者が、「結構です。よろしくお願いします。」「十一番丁二六番地の七津の土地建物は、原告に譲ります。」という前記書面と同趣旨の発言をしたもので、「口授」「読み聞かせ」はなされている。

四  被告の主張

1  昌夫は、昭和六三年六月八日、松本勝馨公証人役場に自ら赴いて、先行遺言をなしたもので、その内容は、本件土地建物を含む全財産を、長男である被告に相続させるというものであった。

2  昌夫、艶子夫妻の間の子供は原告、被告両名のみで、被告は昌夫の跡取り息子として関西大学を卒業後、本件建物にて七津を、雑賀崎で七洋園を経営してきた。

原告は、榎本征弘と結婚後両親と別居していたが、昭和五〇年ころから夫婦で本件建物の一室に居住し、本件建物の一部で喫茶店セカンドフィードを経営することとなった。

3  原告は、艶子が死亡し、かつ昌夫が昭和六三年一月二八日、交通事故に遇って、左大腿頸部骨折等のため同年二月三日まで寺下病院へ、以後中谷医科歯科病院(以下、「中谷病院」という。)へ転院したころから、勝手に本件建物を改築するなど横暴な振る舞いが目立ち始めた。

4  昌夫は、骨折による長期入院を余儀なくされたため、昭和六三年四月二〇日ころから老人性痴呆症が出現し始めたが、先行遺言をした同年六月八日ころは正気の時間帯も多く、現に公証人役場に自ら出頭して、遺言の趣旨を理解して、自ら先行遺言公正証書に署名した。

5  本件遺言当時、昌夫には〈書証番号略〉に記載されているような(一か月前になしたのと全く相反するような)内容の遺言をする意思と能力があったとは思われない。

その証左の一は、本件遺言公正証書そのものが遺言者方で作成されていること、人違いでないことの証明は通常は印鑑証明書によるが、公証人が面識ありとする本件原告代理人たる証人に証明させていること、遺言者の署名の筆跡が本人のものか疑わしいこと、その名下の印影が実印でないことなど遺言そのものの態様である。

その証左の二は、昌夫が正気であったなら、一か月の間に、遺言の内容を変更すべき合理的理由が全くないことである。かえって、被告が同年六月一四日ころに、株式会社七津の取締役に原告夫婦が就任した旨の登記が勝手になされていることを発見したため、〈書証番号略〉の作成を求めたところ、昌夫はこれに応じているのであり、昌夫の意思が一日で変わったとは考えられない。

6  〈書証番号略〉は、昭和六三年七月九日時点での症状が記載されたものであるが、痴呆症状の出現が特記されている。

7  本件遺言当時の昌夫の知的能力からして、昌夫が登記簿謄本を見ながら所在地や地目から家屋番号や床面積まで特定して発言したとは到底考えられないし、立会人(証人)である証人土谷豊子、同阪口展子がこれと異なる証言をしていること等からして、証人岩川清が証言するような「口授」や「読み聞け」があったとは思われず、公証人岩川清が民法九六九条二号、三号の要件を具備して本件遺言公正証書の作成に及んだことは立証されていない。

理由

第一当裁判所が認定した事実

当裁判所が取調べた証拠並びに当事者間に争いのない事実を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(各項目末尾の〔 〕内は、当該項目の事実認定に供した主要な証拠等である。)

1  原告と被告は、昌夫、艶子夫婦の子で、原告は被告の姉である。

昌夫夫婦は、生前、和歌山市十一番丁の本件土地建物でビジネスホテル七津を、同市雑賀崎で旅館七洋園を経営していたが、両方とも経営の実権は主に艶子が握っていたもので、昌夫夫婦は本件土地建物に居住していた。

七津の営業内容は、中華、割烹、小料理屋、宿泊であった。

原告は、昭和二〇年九月一九日生まれで、結婚前は七津の手伝いをしていたが、昭和四三年一一月二五日に榎本征弘と婚姻し、三子をもうけ、和歌山市内のマンション等に居住して七津に通って七津の事務や調理、配膳等の手伝いを続けていた。榎本征弘は、元は饅頭屋である司屋で働いていたが、昭和五二、三年ころ、司屋を辞めて本件土地建物の一階で喫茶店セカンドフィードを開業しその経営をしてきたもので、原告はその後は七津とセカンドフィードの両方を手伝ってきた。原告夫婦は、昭和五〇年ころから、本件土地建物に居住するようになった。

被告は、昭和二二年一一月二三日生まれで、昭和四五年関西大学経済学部を卒業し、家業を手伝うようになり、七津では得意先回りの運転や仕出しの配達、七洋園ではフロントや営業の仕事をしていた。被告は、結婚前までは本件土地建物に居住していたが、昭和五二年四月一八日に髙木淑子と婚姻してからは七洋園に居住するようになったもので、淑子とはその後別居して事実上の離婚状態で、現在は七洋園に単身居住している。

七津は株式会社七津という会社組織になっており、七洋園は有限会社七洋園という会社組織になっているが、本件土地建物、七洋園の土地建物は、いずれも昌夫の個人名義で昌夫の遺産であった。

〔〈書証番号略〉、原告、被告各本人、争いのない事実〕

2  昌夫は、被告が婚姻した際、後で原告と被告が揉めないようにと考え、昭和五二年四月二〇日、本件土地建物を原告に相続させる旨の公正証書遺言(五二年遺言)をした。

原告は、五二年遺言の存在をそのころ聞かされて知っていたが、被告は艶子が死亡するまでこれを知らなかった。

昌夫は、生前、七津を原告に、七洋園を被告に相続させたいと考えていた。

〔〈書証番号略〉、証人土谷豊子、原告、被告各本人〕

3  昌夫は、明治四五年一月二四日生まれであり昭和五四年ころ、糖尿病を患い暫く入院したことがあったが、昭和六〇年一月にも慢性肝炎、糖尿病、腰痛症で入院することとなり、昭和六〇年二月には骨粗鬆症が、昭和六一年一二月には前立腺肥大症、排尿障害が、昭和六二年一二月には脳動脈硬化症がそれぞれ発現し、中谷病院に入院を続けていたが、中谷病院が本件建物から徒歩二分位の近距離にあることから、入院中も外出して本件建物に寄っては飲食するなどしていた。

昌夫は、昭和六三年一月二八日、中谷病院から本件建物へ酒を飲みに寄る途中に交通事故に遇い、救急車で寺下病院に入院し、左大腿骨頸部不全骨折等の診断を受けて入院加療を受けていたが、昌夫の希望により中谷病院に転医することとなり、同年二月三日中谷病院に入院したが、そのころは、脳梗塞、意識障害等の症状もあった。

昌夫は、同年三月八日、痔瘻の手術のため浦神病院に転医し、手術後の同月二七日に中谷病院に戻ったが、このころからたまに痴呆症状を呈することが家人に分かるようになった。

昌夫は、昭和六三年五月ころには骨折の症状も漸次軽快し、歩行練習をするまでになり、同年六月八日に被告に同行されて寺下病院に経過観察のため受診したときには一本杖歩行ができる状態まで改善したが、同年七月ころから痴呆症状、健忘、記銘力低下、失見当症状などが医師より確認されるようになり、これらの症状は同年八月末ころにはやや悪化し、身体的にも終日介助を要する状態になったものの、普段は意識は清明であることが多く、同年代の人と比較して精神状態はしっかりしている方で、昭和六三年一二月ころ中谷病院に入院中に新聞を読むことができたこともあった。

〔〈書証番号略〉、証人土谷豊子、原告、被告各本人〕

4  艶子は、昭和六二年一二月二二日に癌で死亡したが、その三日後ころ、被告が本件建物に赴き七津の店の片付けをするなど七津の経営も被告がするという態度に出たことから、原告が五二年遺言のことを話してこれに異議を述べたところ、被告は態度を硬化させ、このころから、原告と被告の仲は気まずくなった。

被告は、被告が昌夫の跡取りという認識であったことから、昌夫を強く説得し、本件土地建物を含む昌夫の全財産を被告に相続させる旨の遺言をするようしむけ、原告に内密に、昭和六三年六月八日、寺下病院受診と墓参りということで中谷病院に入院中の昌夫を外出させ、寺下病院に受診した後和歌山合同公証役場に同行し、同役場で、被告代理人、野口つる子を証人として、昌夫をして公証人松本勝馨作成の先行遺言公正証書を作成させた。

先行遺言公正証書には、「遺言者はその所有する左記不動産を含む全財産を長男大野禎造に相続させる。」旨記載され、「記 不動産の表示」として本件土地建物が記載されている。

被告は、昌夫が死亡した三日後の昭和六三年一二月一五日、本件土地建物について、和歌山地方法務局同日受付第四四五四三号をもって、同月一二日相続を原因とする所有権移転登記手続を経由した。

〔〈書証番号略〉、原告、被告各本人、争いのない事実〕

5  原告は、昭和六三年六月中旬ころ、被告の態度が変わったことから、昌夫に問い質して先行遺言の存在を知り、弁護士に相談して昌夫に元に戻すように頼んだところ、昌夫も「昔どおりやから元に戻しとく。」旨これを承知した。

そこで、原告は、同年七月七日に和歌山地方法務局公証人岩川清に本件建物へ出張してもらうことにし、当時昌夫の付添婦をしていた土谷豊子、七津の経理事務をしている阪口展子に立会人を依頼した。

同日、昌夫は、土谷豊子の介添えで入院中の中谷病院から徒歩で本件建物へ赴き、本件建物の二階において、公証人岩川清に対し、証人土谷豊子、同阪口展子立会のうえ、「本件土地建物を原告に譲る。」旨口授し、本件遺言公正証書が作成された。

当時昌夫の実印は被告が保管しており、改印すると本件遺言の存在が被告に知れることとなる危惧があったことから、本件遺言における遺言者本人の確認は印鑑登録証明書によらず、公証人が氏名を知り面識のある原告代理人の人違いでない旨の証明によって行った。

本件遺言当時、昌夫の意識は清明で、公証人の人定質問にも的確に答えており、当日体調が特に悪いこともなく、昌夫の意思能力に問題はなかった。

本件遺言公正証書には、「遺言者はその所有する左記不動産を長女榎本多津子に相続させる。」旨記載され、「記 不動産の表示」として本件土地建物が記載され、遺言者である昌夫が自署し、昌夫の銀行取引印が押捺された。

〔〈書証番号略〉、証人阪口展子、同岩川清、同土谷豊子、原告本人〕

6  昌夫は、昭和六三年一二月一二日、入院中の中谷病院で容態が急激に悪化して死亡した。

〔〈書証番号略〉、争いのない事実〕

第二当裁判所の判断

一本件遺言時の昌夫の意思能力について

1  被告は、本件遺言時、昌夫に意思能力があったことを争っているが、前第一認定の事実によれば、本件遺言時、昌夫に意思能力があったことは明らかである。

2 被告は、昌夫が先行遺言と内容が全く相反する本件遺言を一カ月の間にしたことを問題にしているが、五二年遺言の存在や本件遺言時の原告と被告の生活状況、経営の内容、昌夫の日頃の言動等を考慮すると、先行遺言こそ昌夫の真意に合致するものであったかどうかが疑わしいもので、本件遺言は昌夫の真意に合致する内容であったと認められる。

被告本人は、昌夫は被告を跡取りにすると言っていた、その跡取りとは不動産の大部分と祭祀を承継することである旨供述するが、前記の諸事情に鑑みると、右供述は採用できない。

3 また、被告は、昌夫に老人性痴呆症が出現し、本件遺言時昌夫には意思能力がなかった旨主張するところ、確かに昌夫の最初の痴呆症状の出現は昭和六三年三月ころからで、同年七月ころには医師にも痴呆症状の出現が確認されているが、前記のとおり、同年七月ころは痴呆症状の程度はそれ程ひどくないもので、意識は清明で受け答えもはっきりしており、昌夫が本件遺言時に事理を弁識する能力に欠けることがなかったことが明らかである。

被告本人は、昌夫は昭和六三年六月八日から同年七月七日までの間にガタッと悪くなった旨供述しているが、一方では被告自身が同年七月六日に〈書証番号略〉に昌夫の署名をもらっており、また、被告代理人の「父は、最終的にはボケてしまいましたか。」との質問に対し、「そこまで行っていません。私が息子と最後まで分かっていました。」旨供述するなどその供述は矛盾しており、採用できないものである。

二本件遺言の方式違反の主張について

1 被告は、本件遺言は民法九六九条二号、三号の方式に違反し無効である旨主張するが、前第一認定の事実によれば、本件遺言に際し、右の各方式違反がなかったことは明らかである。

2  被告は、証人岩川清が証言するような「口授」や「読み聞け」があったとは思えない旨主張するが、前記のとおり、本件遺言時に昌夫の意思能力に問題がなかったことは明らかであるし、証人岩川清も「本人には特段の印象を持っていない。」旨証言するケースで、証人岩川清の証言が本件遺言公正証書作成から約二年経過していることもあって、遺言公正証書作成過程の詳細な証言はないものの、右証言並びに証人阪口展子、同土谷豊子の各証言によれば、昌夫が民法九六九条二号が要求する程度の「口授」を公証人にしたことは認めることができるし、〈書証番号略〉の本件遺言公正証書の記載及び証人岩川清の証言に鑑みれば、同条三号所定の「読み聞け」もなされたものと推認され、右推認を履すに足りる証拠はない。

3  被告は、証人阪口展子、同土谷豊子の各証言が証人岩川清の証言と異なるとも主張するが、証人阪口展子の証言がなされたのは本件遺言から約三年後であり、証人土谷豊子の証言がなされてたのは約四年後であって記憶喚起に相当困難を生ずる時間的経過があることや各証人の年齢(いずれも大正一三年生まれ)からして、右各証人から本件遺言公正証書作成過程の詳細な証言を得ること自体無理があると解されるから、被告の右主張も理由がない。

三まとめ

そうすると、本件遺言は有効であると認められるから、民法一〇二三条一項により、前の遺言(先行遺言)と後の遺言(本件遺言)と抵触するときは、その抵触する部分については、後の遺言で前の遺言を撤回したものとみなされるので、先行遺言のうち、本件土地建物を被告に相続させる部分は撤回したものとみなされる。

よって本件土地建物は、本件遺言により原告が相続したものとして原告の所有に属するから、先行遺言に基づく被告の請求原因3の所有権移転登記は抹消されるべきものである。

第三結論

よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官仲戸川隆人)

別紙物件目録〈省略〉

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